栃木リンチ殺人事件・警察はなぜ動かなかったのか』

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■カルロス・ゴーン氏(日産自動車社長)への手紙

カルロス・ゴーン様

黒木昭雄
--差出人住所省略


週刊朝日編集部・山口一臣・大嶋辰男
--住所省略

突然、このようなお手紙を差し上げるご無礼をお許しください。
私はジャーナリストの黒木昭雄と申します。
簡単に経歴を説明いたします。
1957年、東京都に生まれました。高校を卒業後警視庁に入庁し、23年間勤務しました。
1999年に警視庁を退職し、それ以降、フリーランスのジャーナリストとして、警察問題、社会的事件を取材しています。本も何冊も書いております。必要ならあなたの日本人スタッフに私のことを調べさせてください。名だたる新聞社、出版社と仕事をしていることがすぐにわかるでしょう。
それはともかく、ゴーンさん。本日、こうしてお手紙を書くのは他でもありません。私はどうしても、いくつかの質問をあなたにしなくてはなりません。
何のために? そう、あなたはご存じないかもしませんね。1999年、あなたの会社、日産自動車栃木工場に働く社員が、同じ職場の社員を2ヶ月間にわたって監禁し、リンチを加え、大けがをさせ、最後に首を絞めて殺害したという事件が起きたことはご存じでしょうか。
そして、あなたの会社は、この事件についてとても奇妙な対応をしています。
 殺害されたあなたの会社の社員、須藤正和君は被害者であるにもかかわらず、同じくあなたの会社の社員だった犯人の植村隆宏(仮名)と一緒に処分されました。
 あなたの会社の「人事関係規定集」を開いて見てください。就業規則第85条には「諭旨退職または懲戒解雇に処する」と書いてあります。その該当事項として、第6項に「会社施設および敷地内において、窃盗、暴行、脅迫、その他これに類する行為をしたとき」
とあります。

 詳しくは後述しますが、須藤君を殺した植村も、殺された須藤君もこの就業規則85条第6項によって「諭旨退職」となりました。そしてこの処分は事件が明るみになり、須藤君が被害者とわかった今も、撤回されておりません。
 死んだ人間なので、名誉を回復する必要はない・・・・・・というのが、あなたの会社の姿勢なのでしょうか。
 私はこの問題について、近々著作にまとめて発表するつもりでいます。また、本の出版と前後して、朝日新聞社で発行している週刊朝日というニュース週刊誌でも、取材の結果記事を発表するつもりでいることをご報告しておきます。
 それでは、Mr.ゴーン、あなたは事件についてご存じないのかもしれないので、少し長くなりますが、あらためて事件について概略を申しあげます。なお、私が報告する「事実」は警察の捜査資料・公判の資料をもとに作成していることも重ねてご報告しておきます。
 
 事件の被害者、須藤正和は高校を卒業後、1994年4月に日産自動車に入社し、栃木工場の第二鋳造という部署で働いていました。栃木工場の人事部に聞いていただければわかりますが、須藤君は事件に巻き込まれるまではただの1日の欠勤もなく、残業も進んでこなす、極めてまじめな社員でした。
 そんな須藤君が今回の事件に巻き込まれたのは、須藤君が日産に入社してからわずか5ヵ月後の9月のことでした。同じ栃木工場で働いていた植村隆宏から呼び出されたことがきっかけです。
 植村の評判も人事部で聞いてください。私が知るところによれば植村は素行の悪い、社内でも問題の社員だったそうです。
 それはともかく、植村には藤原勝(仮名)、松下将樹(仮名)という仲間がいました(この二人は後に事件の共犯者となります)。3人が須藤君を呼び出した目的はほかでもありません、遊ぶ為のお金でした。三人は「自分たちの背後にやくざがいる」といって須藤君を脅し、お金を巻き上げたのです。須藤君にお金がなくなると、須藤君を脅し、知人や友人たちを呼び出させて金を借りさせました。それは何回となく続けられ、須藤君に借りさせたお金は、遊興費(飲食や買春など)に消えてしまいました。こうやって3人が須藤君から巻き上げたお金は日本円で総額約700万円にものぼります。(その全額は須藤君の家族が工面して返しました)
 須藤君が呼び出してお金を借りた人たちの中には、日産自動車栃木工場の社員たちも多く含まれていました。そのため日産栃木工場の内部でも須藤君のことは問題になっており、「職場の中での金の貸し借りはしないように」と注意されていたそうです。
 ゴーンさん、ここまで聞くと、あなたは須藤君も植村たちの仲間だったのではないか?と思うかもしれませんね。あるいは須藤君がもし彼らの仲間ではないとしたら、なぜ途中で逃げださなかったのかと思われるかもしれません。しかし、最初に私が申し上げたように、事件は最後に、須藤君が殺されて終わったという事実を思い出してください。須藤君は犠牲者だったのです。しかも、とてもとてもこの世の出来事とは思えない、むごい仕打ちをうけて死んだのです。

 9月に植村に呼び出された須藤君は、殺されるまでの2ヵ月間、植村、藤原、松下の3人によって監禁され、出社できなかったのです。3人は須藤君に暴力を働き、須藤君の頭と体に恐怖を植え付け、抵抗したり逃げたりできないようにしていました。須藤君を脅かして巻き上げたお金で、3人はホテルを転々と泊り歩いていたのです。
 そして、ホテルのなかで3人が須藤君に何をしていたか想像できますか?3人はホテルの部屋で連日須藤君に最高温度の熱湯のシャワーを浴びせていたのです。また、直接須藤君の体に殺虫剤の炎をかけることもありました。
 逃げ出せなかった理由は、遺体となって発見された須藤君の姿を見れば一目瞭然です。須藤君の体のいたるところにひどい火傷の跡が残っていました。しかも、手当もされなかったため、火傷の跡は腐っていました。三人から毎日こんな仕打ちを受け、須藤君は日産自動車の同僚社員たちをはじめ、多くの友人を呼びだしてはお金を借りなければならなかったのです。須藤君はどんな思いで、彼らからお金を借りていたのでしょう。
 お金欲しさに須藤君をもて遊んだ三人を、私は許すことができません。ボロボロになった須藤君は、1999年12月2日事件が警察に発覚することを恐れた三人によって殺害されました。ネクタイで須藤君の首を絞めて殺したのは、須藤君の同僚であり、あなたの会社の社員だった植村隆宏なのです。
 しかし、悪魔のような三人のことはともかく、あきらめられないのは警察が須藤君を救うチャンスがあったのにもかかわらず、捜査に着手しなかったということです。そして、警察が動かなかった大きな理由のひとつは、日産自動車栃木工場の不誠実な対応にあった。ということなのです。 私があなたにいうのは、須藤君が殺されたことの怒りや、ただ感情にまかせて、言ってるのではありません。それは以下のような事なのです。

 須藤君は1999年9月、植村に呼び出された直後に監禁され、そのまま会社に出社しなくなったことは書きました。須藤君の両親が須藤君がいなくなったことを知ったのは、その後のことです。日産栃木工場の人事課から須藤君の両親に電話があり、「須藤君が工場に出社してこない」という報告を両親が受けたのです。須藤君のご両親は須藤君のまじめな、時にまじめすぎる性格を考えると、理由もなく会社を休むことは信じられませんでした。そこで何かあったのではないかと思い、須藤君の銀行口座を調べてみると残高のすべてが引き出されていることがわかったのです。須藤君の両親はこの瞬間、「正和が何かの事件に巻き込まれた」のだと思ったそうです。
 さらにその数日後、両親は再び日産自動車工場の人事課から呼び出されました。「須藤君が同僚から100万円もの大金を借金している」と言うのです。須藤君にお金を貸した同僚の社員の話によれば、須藤君がお金を借りにきたとき、須藤君といっしょにガラの悪い連中も一緒だった(植村・藤原・松下のことです)。須藤君はその三人に脅かされている様子だったというのです。須藤君の両親は人事課の人たちと話をし、「いずれにせよ警察に話した方がいい」と言うことになり、須藤君の母親が、1999年10月18日栃木県警石橋警察署に行って「家出人捜索願い」を出す事になりました。それは、須藤君が殺される一カ月前のことです。
 そのとき、須藤君の母親といっしょに石橋警察署に行った人物がいます。日産自動車栃木工場総務の「S」という人物です。Sさんの肩書は「総務部付き」というものでした。 Sさんは日産に入る前、栃木県警の警察官でした。総会屋事件のときも話題になりましたが、日本の企業はトラブルを処理する時のために、元警察官だった人間を社員として採用します。
 なぜ日産がSさんを雇ったのか、当時の須藤さんの両親には詳しいことはわかりませんでした。
 そして、須藤君の母親は石橋警察署に行くとき、日産の総務部から「これを警察に渡すように」と言われたものがありました。それが問題の「報告書」なのです。つまり、この時点で日産栃木工場は、出社しない須藤君のことを調査し、いくつかのことがわかっていたのです。
 この時点では須藤君の両親は、日産総務部の人たちのことを全面的に信頼していました。そこで、須藤君の母親はこの報告書に何が書かれているのかも確かめることもなく、総務部の人に言われた通り、この「報告書」を石橋警察署に提出したのですが、これが大きな間違いでした。
 事件後、私も須藤君の両親からこの報告書を見せてもらいましたが、この報告書には、「須藤君も植村の仲間で、二人はいっしょに遊び回っている」と事実とは違う嘘が書かれていたのです。先ほども申しあげましたが、須藤君にお金を貸した日産の社員は「須藤君は、誰かに脅かされて金を借り歩いているようだ」と人事担当者に話していました。それは人事課の聞き取りでわかっていたはずです。人事担当者は須藤君は無断欠勤もしたことのない、まじめな社員だったことを知っていたはずなのです。それなのに何を根拠に、何が目的で、こんないい加減な報告書を日産自動車栃木工場総務部は作成したのでしょうか?
 
 須藤君の両親は須藤君が消えてからというもの、いろいろな場所を、いろいろな手段を使って捜し出そうと努力しました。3人に脅かされた須藤君は最初にまず自分の貯金を引き出しています。その後も両親から振り込まれる現金は、瞬く間に引き出されていたのです。須藤君の両親は取引銀行に事情を説明しました。そして、キャッシュ・ディスペンサーのコーナーに設置されている防犯ビデオに、「包帯をまいている須藤君の姿が写っている」と銀行側から伝えられたのです。そして銀行は「必要なら防犯ビデオを警察に提供してもいいです」といってくれたのですが、警察は「裁判所の許可がなければそれはできない」と突っぱねたのでした。繰り返しますが、警察の反応が鈍かったのは、あなたの会社が書いたウソの報告書の存在があったからなのです。

 嘘報告書について、栃木県警の本部長(当時)は、「日産の報告書が捜査に着手しなかった原因だった」と認めています。、当時の新聞報道を翻訳して読まれたらいいでしょう。
 以上のような経緯から、私が日産の対応に疑問を持つのは、ジャーナリストとしておかしいことでしょうか。
 
 日産がこのように不可解な対応にでたのは、企業のイメージダウンを恐れたからではないかと私は考えています。
 「社内調査の結果を正直に警察に報告したら、警察が動くかもしれない。そうしたらマスコミで報道されてしまうかもしれない。だから、内々で処理してしまおう」と言う図式です。実際、根拠もあります。
 ゴーンさん、調べてもらえばわかると思いますが、日産は早い段階から警察と水面下で情報交換していたと思われます。栃木県警の警察官だった「総務部付」のSさんは栃木県警とのパイプ役になっていたと思われます。地元の新聞記者に聞いた話では、Sさんはこれまでにも日産の社員が警察沙汰になるような不祥事を起こしたときに、警察にもみ消しをするよう動いていたこともあったそうです。
 須藤君を殺した犯人の一人、藤原の父親も栃木県警の警察官でした。 藤原は少年時代から恐喝を繰り返していた地元でも有名な不良少年だったのです。同じ栃木県警の同僚だったSさんは、そのことを知っていたはずです。警察官出身のSさんであれば、その時の情報を総合的に見て(須藤君が脅かされていたようだという社員の証言、これまでの須藤君のまじめな勤務態度など)これが事件なのかどうか適切に判断を下せたはずです。いや、警察官出身であればこそ、積極的に捜査を進めるよう警察に働きかけることもできたはずなのです。

 ゴーンさん冷静に聞いてください。私がこんなことを申しあげるのもほかではありません。両親は須藤君が日産に就職が決まったときの、あのうれしそうな表情を今でも鮮明に覚えているのです。そして家族はそんな須藤君の姿を見て、日産の車に乗り続けてきました。
 最後にもう一つだけ申し上げておきます。
 日産が企業イメージをダウンさせないように、事件を処理しようとしたと思われる点は、須藤君の『処分』にも感じられます。
 日産自動車栃木工場の人事部は、須藤君の母親が、日産から渡された嘘の報告書を警察に提出させた後、今度は須藤君が長期にわたり欠勤していることを取り上げて、早く退職願いを出すようにと催促するようになったのです。須藤君の両親は須藤君からかかってくる連絡が一方的であったため、どうすることもできなかったのですが、「退職願いはまだですか」と厳しく言われるようになり、精神的にも苦しい思いをさせられたのです。
 息子がどこにいるかわからない。しかも何らかの事件に巻き込まれているのではないかと心配している。警察も動かず自分たちで探しだそうとしている…そんな須藤君のご両親に対して会社は、早く辞めろとプレッシャーをかけてくる―。もし、あなたが須藤君の両親だったらどんな気持ちになったことでしょうか。
 そして須藤君が殺害される約一週間前、1999年11月24日付で日産自動車栃木工場は、冒頭に申し上げたように、就業規則第85条6項によって須藤君を「諭旨退職」処分にしたのです。そして須藤君を殺害した植村も同じ理由で「諭旨退職」処分にしています。その後事件が明るみになり、須藤君が事件の被害者だったことが明らかになっても日産はこの処分を取り消していないのです。繰り返しますが須藤君は出勤したくなくて、出勤しなかったわけではありません。植村ら3人に監禁されて出勤できなかったのです。
 ゴーンさん、これまでの報告を思い出して考えてみて下さい。須藤君がいったい何時就業規則85条にあたるような行為をしたのでしょうか?
 今も、日産の栃木工場ではあの有名なリンチ殺人事件の被害者須藤正和君と、加害者植村隆宏が日産の社員だったことを知らない人も大勢います。事件の被害者と加害者の一人が社員だったと会社が社員に知らせなかったからです。会社としては、事件が明るみになる直前に、須藤君はもちろん、植村も退社しているので「日産の社員がかかわった事件ではない」ということなのかもしれませんが、それはおかしな話です。
 
 話は戻りますが、社内調査が行われたころ、須藤君が働いていた職場では、「社員同士での金の貸し借りはしないように」という指導がなされていました。ならば事件が明らかになった段階で、正しく社員に事実を知らせる必要があったのではないでしょうか。
 二度とこのような事件を起こさないという決意、あるいは再販防止という観点からも社員への説明はあってしかるべきだと思いますがいかがでしょうか。
 
 ゴーンさん。お忙しいところ、長時間にわたって私の手紙を読んでいただきありがとうございました。まだまだお伝えしたいこともありますが、いったんここで筆を置くことにしますが、最後にジャーナリストとしていくつかの質問をさせてください。
(1) ゴーンさん、あなたは1999年に起きたこの事件をしていましたか?
(2) この事件の被害者と加害者が、あなたの会社の社員であったことを知っていましたか?
(3) 日産が警察に渡した「報告書」に嘘が書かれていた事実をどう思いますか?警察の対応を、どのように受け止められますか?
(4) 今後、この事件の対応について、あらためて社内調査し、検証するお考えはありますか?
(5) 須藤君の処遇について、誰が調査し、誰が判断して処分を決定したのか教えてください。
(6) 今後処分を撤回するつもりはありますか?

 ゴーンさん、須藤君の両親は栃木県内で小さな理髪店をやっています。 まじめ働き一生懸命に子供を育ててきました。裕福ではありませんでしたが幸せに暮らしてきました。それなのにこんなにひどい事件が起きてしまい、今でも信じられない気持ちです。今となっては時間を戻すことはできません。死んだ者は帰ってこないのです。しかし今、なによりも悲しいのは須藤君とその両親に何一つ救いがないことです。
 処分も撤回されず、会社として事件を封印した為、昨年の須藤君の1周忌には日産から哀悼の言葉ひとつ、お花の一つもなかったのです。
 あれだけ嬉しそうに日産自動車に就職した須藤君の人生はいったいなんだったのでしょうか?
 車を作るというお仕事は、人の命を預かる大切なお仕事です。そんなお仕事をしている日産自動車のこの対応は、果たして本当の意味で、人の命を大切にしていると言えるのでしょうか。
4月11日、私と一緒に取材している週刊朝日の記者、山口一臣と大嶋辰雄がこの事件について日産自動車栃木工場総務課の横越課長に取材にきました。
 そこでの対応は実にひどいものでした。その詳細はここでは明らかにしませんが、課長はこういったそうです。
「とにかくこの件の取材については、本社が対応しているのでここでは話せない・・・」
 記者が、
「それでは本社いけば対応してくれるのですか?」
と聞くと、
「本社へ行けとは、私の口からは言えません」
と言ったそうです。この不誠実な対応は誰もが責任をとらないと言う風にしか受け取れません。
 ゴーンさん、あなたが日本に来て、本当に日産自動車は変わったのですか?その証を見せてくれませんか?もし、あなたがこの事件について関心があり、前向きに対応していくつもりがあるのなら、私が取材した限りの情報を提供しますので、併せてインタビューさせていただけないでしょうか。

黒木昭雄


*本文中の関係者及び、加害者は仮名となっていますが、ゴーン氏への手紙では実名で記載されています。