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栃木リンチ殺人事件 追求・日産の「重大責任」 これでも知らなかったというのか!! 日産はかなり早い段階から事件性を認識していたのではないか。それが警察の捜査に影響を与えることはなかったのか。これまでの取材でそんな”疑惑”が浮上してきた。本誌の報道で日産は須藤正和の処分を”撤回”したが、事件の裏にはさらに隠された日産の重大責任があったのだ。 またしても日産自動車は信じられない対応で、遺族の心を傷つけた。 4月24日付の地元紙に、日産が4月19日付けで、須藤正和の「諭旨退職処分」を撤回したという記事が出ていたのだ。4月19日といえば、正和の実家に日産栃木工場の幹部3人がやってきた日ではないか。 本誌が日産自動車広報部に問い合わせると、この日、実家を訪れた幹部が口頭で処分の取り消しを伝えたという。 だが、父光男の話は180度違っていた。 「工場幹部が家にきたのは事実ですが、処分を撤回したとは聞いていない。私が聞いているのは、正和の書いた退職願いを返すから、処分通知書を戻してほしいということだけです。彼らは、私らには何も報告しないで、マスコミには処分撤回だなんて流したことで、日産に対する不信がますます募りました」 すでに詳報したとおり、正和は日産栃木工場に同期入社した植村隆宏〔仮名〕に呼び出され、植村を含む3フ少年グループにカネを脅しとられたあげく監禁され、熱湯を浴びせられる等の凄惨なリンチを受け続けた。ところが”雇い主”の日産は、被害者の正和も加害者の植村もまったく同じ「諭旨退職処分」にしていたのだ。 「須藤君に対する処分は事件の全貌を知りなかった当時の会社の判断としては妥当だった」〔広報部〕 と、日産は私の追求に対してコメントしてきた。 私は、これに強い疑念を抱いている。それどころか、さらに「重大な責任」が隠されているとさえ考えている。 正和が監禁されていた約二カ月もの間、両親が必死の思いで捜し続けたことは言うまでもない。ところが、再三の訴えにもかかわらず、栃木県警はまったく動こうとしなかったのだ。 象徴的な例が、銀行の防犯ビデオの件だ。 取引銀行の支店長から両親に、正和が何者かに脅かされ、現金を引き出している様子が防犯カメラの映像に残っているという連絡があった。正和は顔を隠すようにフードをかぶっていたが、顔には明らかにひどいやけどの跡が見えたという。 支店長から、 「必要があればいつでもビデオはお貸しします。早めに警察にいったほうが・・・・・・」 とアドバイスされ、両親は訴えたが、警察はこれでも取り合おうとはしなかった。 警察の対応は一時が感じ、こうだった。正和が事件に巻き込まれた証拠をそろえて相談してもダメだった。 「警察は事件にならないと動けない・・・・・・」 これが警察側の言い分だ。 警察はなぜ、動かなかったのかという点について、私は膨大な捜査資料と公判記録、さらには関係者への取材をもとに導き出された一つの仮説がある。それはかなり早い段階から事件の全容をキャッチしていた日産が、企業イメージを守るため、事件が警察沙汰にならないよう内々で処理しようとしたことが、結果として警察の捜査に影響を与えてしまったのではないか、ということだ。これについては拙著『栃木リンチ殺人事件・警察はなぜ動かなかったのか』〔草思社〕で詳しく論証したので、ここでは重要なポイントだけ指摘する。 警察はなぜ、動かなかったのか――――。 00年6月9日の栃木県議会文教警察委員会で、県警の広畑史朗本部長が、 「家出人捜索願いを受理した段階で、誤った先入観を持ってしまった。それがあとあとまで尾を引いた・・・・・・」 と釈明している。 県警が捜索願いを受理したのは99年10月18日のことだった。その日、正和の母、洋子が日産栃木工場の総務部人事課から呼び出され、正和が日産の同僚から多額の借金をしていることを知らされた。洋子は会社の勧めにしたがい、「日産自動車栃木工場総務部部長付」の肩書を持つ「S」と正和の上司に付き添われ、初めて石橋署を訪れた。そこで捜索願いが出されたという。 ちなみに「S」は栃木県警の元警視で、日産と警察のパイプ役を務めている。 広畑本部長は、このときに誤った先入観を持ってしまったと話している。いったい何があったのか。 母の洋子が振り返る。 「実は、捜索願を出しに行ってとき、会社の人から『警察の人に渡してください』と言われてもらった書類があるんです。そのときは、言われるまま中身も読まずに警察に出してしまったのですが、あとで見てびっくりしました。まるでウチの正和が、植村らと遊び歩いているようなことが書いてあったんですよ」 日産は欠勤を始めた正和と植村に対して早い段階から社内調査を行っていた。日産は、植村と正和を別々に会社に呼び出し、話を聞いた。警察に提出された書類は、その報告書のコピーだった。 そこには事情聴取をした上司の「判断」として、 〈植村は質問に対してハキハキと答えるし、正直に話しているものと思われる。須藤は植村に話した内容、私ら監督者に話す内容、会社同僚に話す内容がすべて違い、三者三様の内容を話していることから、うそをついているものと思われる〉 と書かれていた。 「これじゃあ、まるで正和が悪いみたいですよね。これを見た警察は、いったいどう思ったかね……」 と、光男はため息をつく。 つまり、これが広畑本部長が答弁した「先入観」を生んだ原因だったようなのだ。 これについて日産自動車広報部の濱口貞行主管は、 「『報告書』はあくまで欠勤に対する社内的な調査をまとめたもの。しかし、何かの参考になればという”善意”から提出された。悪く言われる筋合いはない」 と憤慨するが、仮にもしそうであったとしても、結果として日産の”善意”が警察の先入観を生んでしまったことへの責任はあるはずだ。 いずれにせよ、日産がかなり早い段階から事件性を認識していたことは間違いないと私は見ている。それは、日産栃木工場総務部の素早い対応ぶりにも表れている。 日産栃木工場で、正和の1年先輩にあたる木崎政則(仮名)が正和の上司から休憩室に呼び出されたのは、問題の報告書が出される5日前の10月13日のことだった。 「君が知っていることを、頼むから全部、話してくれ」 こう言って、上司は木崎に切り出したという。 実は、木崎は10月2日に正和から呼び出しを受け、現金2万円を貸していた。 「友だちがヤバイ人の車にぶつけちゃって、すぐにカネが必要なんです。俺も友だちの車に一緒に乗っていたんですが、先輩、すいませんがカネ貸してもらえませんか」 と、木崎の携帯電話に正和から連絡が入ったのだ。 待ち合わせ場所には正和のほか、日産社員の植村と主犯格の藤原勝(仮名)、松下将樹(同)の犯人グループ3人が勢ぞろいしていた。 このうち松下については木崎もよく知っていた。高校時代の水泳部の後輩だったからだ。植村についても”評判のよくない新入社員”として知っていた。主犯格の藤原についてはまったく面識はなかったが、そのふてぶてしい態度から木崎の頭の中に不吉な構図が浮かび上がった。 「『カネを貸してくれ』という須藤の不自然な口ぶりからして、松下たちにむりやり言わされているのではないかと思いました。車の事故という話も、実は松下たちがカネをせびる口実に使われているのではないか。須藤が会社を休んでいるのも、松下たちが無理やり連れ回しているからではないかと考えました」 木崎は事件後、検察庁の調べに対して、こう証言している。 つまり、木崎はこの段階で事件の全容をほぼ把握していたというわけだ。 参考人調書からの再現を続けよう-----。 上司から休憩室に呼び出された木崎は、正和の身をずっと案じていたので、すべてを話すことにした。 その話は嘘だ!! 同僚は直訴した 「(新入社員の)植村のことは知ってるよな。で、松下ってのも知っているか」 上司の言葉に木崎は正直、驚いたという。なんで松下の名前を知っているのか。 「松下は高校時代の後輩でした。でも、ボクは彼を信じていません」 「それは、なぜだ」 「高校時代からいい加減だったので……、松下の性格も知ってましたし……」 いずれにせよ、日産栃木工場総務部は10月13日の時点で事件関係者の素性をほぼつかんでいたことになる。 木崎は上司がそこまで知っているなら、必ず力になってもらえるものと確信し、前述した検察庁の事情聴取で話したような事件の”背景”についての考えも述べた。 正和の上司がそのうえで木崎に尋ねた。 「ヤツらがどんな車を使っていたか、車種とか色とかを覚えているか」 「黒っぽい色のインテグラです。家に帰ればナンバーもわかります。帰りがけにメモしておいたので……」 ところが、そのあとの上司の反応は意外だった。 「いや、警察じゃないからそこまではいいんだ。このことは警察にも連絡したから、ここから先は警察にまかせればいい。だから、おまえはもうかかわるな。いいな」 ちょっと変だと木崎は思った。もし本気で正和のことを心配するなら、ナンバーを知っていることがわかれば喜ぶはずだ。「もうかかわるな」という一言は、まるで口止めに聞こえたと、木崎は正和の両親に語っている。 もう一つ。「このことは警察にも連絡したから」ということは、捜索願を出すより前に、すでに警察と連絡を取り合っていたことになる。 「木崎君のことを知ったのはずっとあとになってのことでした。妻が捜索願を出すより前に日産が警察と接触していたことも知らされていませんでした。松下や藤原の名前にしろインテグラのナンバーにしろ、私らがどれだけ苦労して割り出したか。日産は知っているのに、なぜ教えてくれなかったのか……」 父の光男は、そう憤る。 日産の不審な動きはそれだけではない。休憩室でのやりとりを続けよう------。 上司は1通の書類を取り出した。 「植村から事情を聞いたものだ。ちょっと見てくれ」 石橋署に提出された問題の「報告書」だった。ざっと目を通した木崎は、カッと頭に血が上るのを感じた。10月2日の欄には、 〈須藤とは別行動〉 とあったからだ。木崎は思わずまくしたてた。 「植村の話は全部ウソです。10月汲Q日は私が須藤に頼まれて2万円を持っていった日です。このとき、須藤は植村と一緒でしたから、明らかに植村はウソをついている」 この木崎の事情聴取の翌日に書かれたのが、 〈(正和は)嘘をついているものと思われる〉 という問題の報告書だ。 なぜ日産の上司は木崎の話を聞きながら、こんなデタラメを書いたのか。そしてなぜ、それを洋子に持たせて石橋署へ行かせたのか。日産は本誌の取材に対して、 「捜査当局の調査及び裁判の内容で明らかになっているものと考えますので、改めて弊社としてのコメントは差し控えさせていただきたい」 と言うばかりだ。 日産が警察のいう事件性を十分認識していたという”証拠”はこれだけではない。 木崎から話を聞いた2日後の夜、正和の上司のもとへ同僚の加藤隆史(仮名)から電話があった。加藤はその前日に正和から呼び出され、100万円という大金を巻き上げられていたのだ。加藤はそれを上司に話した。もちろん正和がいかにひどい状態でとらわれていたかも、克明に話した。警察は両親に対して、 「警察は事件にならないと動けない……」 と言い続けたが、加藤が被害届を出しさえすれば即刻、事件になる状況だった。しかし、上司は加藤に被害届を出すようアドバイスはしなかった。それだけではない。 このころ、正和は植村たちに脅されて日産の同僚などにカネを借りまくっていた。カネのない友人は消費者金融に連れて行かれ、その場で融資を受けた現金をとられた。犯人グループはこれを、「ご融資」と呼んで喜んでいた。 正和の親友で同期入社の社員二人が総務部人事課に呼ばれたのは、11月に入ってすぐのことだった。二人は「ご融資」の被害者で、そのときの状況を詳しく聞かれた。 二人は、植村たちに脅されて無理やり消費者金融から借金をさせられたこと、二人の目の前で正和が殴られ土下座させられこと、顔や手におびただしいけがをしていたことなどを詳しく説明した。 事態を重視した総務部は犯人グループの襲撃に備えるため、二人の寮の部屋替えをしている。つまり、日産の総務部はそれほど切迫した事態になっていると、はっきり認識していたわけだ。これでもまだ、「事態を知り得なかった」と言い張るのか。 処分撤回で判明 弔慰金も未払い ちなみに前出の加藤もこの二人も警察OBの「S」に連れられ石橋署を訪れている。だが、なぜか対応した刑事は調書もメモも取らず、ただ話を聞くだけだったという。 いずれのケースも、犯罪構成要件を十分満たしているのは明らかだ。元警察官の私が言うのだから、間違いない。日産も警察も、とっくの昔に犯人グループの全貌をつかんでいたし、一連の事態が単なる金銭貸借(民事事件)ではなく恐喝・強盗(刑事事件)であることもわかっていたのだ。にもかかわらず、なぜか共同歩調をとるかのように事態に対してまったく反応しようとしなかった。 日産に至っては、正和から退職願をとることばかりに腐心していた。その結果の「諭旨退職処分」である。 4月27日に日産栃木工場の総務部長名で両親の弁護士に送られてきた処分取り消しの文書には、 〈本件見直しが遅れましたことは、誠に申し訳なく思っております。なお、本件取り消しにより、平成11年12月2日付ご本人死亡による退職となります。つきましては、添付別紙のとおり、賞与等のお支払がありますので、ご確認くださいますよう……〉 とあった。驚いたのは、本来支払われるべき賞与や祝金・見舞金支給規定に基づく弔慰金など約53万円が、これまで未払いだったことだ。このカネは、もし本誌の指摘がなければ、永久に支払われなかったのかもしれないのだ。 それはさておき、処分の撤回と未払い金の支払は、あまりに当然のことである。日産はこの文書1枚で責任を果たしたつもりなのか。 なぜ、いまだに処分撤回が遅れたことの理由を説明しようとしないのか。 日産がかなり早い段階から事件性を認識していたことはほぼ間違いない。労働法に詳しい弁護士などによると、企業は従業員の安全に配慮する義務があるという。日産はこの「安全配慮義務」に違反しており、当然、損害賠償の対象にもなるのだ。 正和の両親は、県警と犯人側を相手取った損害賠償請求訴訟を起こしているが、処分取り消しを通知する文書を手にした父の光男は、体を震わせながらこう語った。 「正和は同じに日産社員によって殺されたのです。日産が正和の殺された経緯を明らかにしないで、こんな紙きれ1枚ですませるなら、私らは日産を訴えます。不買運動を起こしてでも復讐します・・・・・・」 私がゴーン社長あてに出した質問に対する回答もまだない。日産はなぜひとこと「すまなかった」と言えないのか・・・・・・。 〔敬称略〕 (週刊朝日・5/18・2001年) |